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京焼・清水焼(京都府)
清水焼以外を京焼と呼ぶこともあるようですが、広い意味では全てを含みます。京焼の特徴は、技術と技法の多様性、華麗な美しさにあります。京焼きには、色絵陶器から染付け磁器、青磁、白磁、金襴手、さらには中国風、朝鮮風、瀬戸風、信楽風、美濃風など、まるで日本の陶器を一堂に集めたかのように全てが揃っています。それは長い間、日本の文化の中心を担ってきたことで、日本から焼き物に関するあらゆる技術や作品が京の都に流れ込んできたためと考えられます。現在、京焼はその作風を特定しにくいとも言われますが、京焼の最大の魅力はやはり華麗な色絵と染付けでしょう。
備前焼(岡山県)
焼き物の原点とも言える魅力を持っている備前焼。釉薬を使わず念入りに高温で焼き上げた器は、素朴な土味と落ち着いたしぶみが感じられます。備前焼特有の装飾に「窯変(ようへん)」があります。窯変とは、器が灰に埋もれたり、器同士がくっついてしまってできる、いわば窯の中のアクシデントによる偶然の美しさのことです。窯の中で灰が器に降りかかってできる自然釉は他の焼き物にも見られます が、これも窯変に含まれます。備前焼では特に斑点状のものを「胡麻」と呼んで珍重します。また火の近くに置いたために灰の量が多く、溶けて流れたものを「玉だれ」と呼びます。ほかに「緋襷(ひだすき)」と言って、器と器がくっつかないようにワラを挟んだ部分が赤く焼け上がったものもあります。器同士がくっついた部分が赤く染まるものは「牡丹餅(ぼたもち)」と呼ばれます。
九谷焼(石川県)
九谷焼の特徴は、緑、黄、赤、紫、紺青の五彩の上絵具で絵付けした重厚感のある色彩にあります。これは日本画家の狩野派の名匠・久隅守景の指導によるものと言われます。この五彩を使い、古九谷から再興九谷に至るまで、それぞれ特有の画風を創り出してきました。絵画的で大胆な構造、力強く豪快な味わいが魅力の古九谷(約330年前)。前面に赤を施し、中国風の絵柄の木米(180年前)。赤を使わず、地紋で全体を塗りつぶした吉田屋(約165年)。赤で精密な人物を描き、まわりを小紋などで埋めつくし、金彩を加えた飯田屋(約150年前)。洋絵の具を用い、絢爛豪華な美の世界を創作し、明治以降の産業九谷の主流となった庄三(約135年前)。京焼金襴手手法で前面を赤で下塗りし、その上に金だけで彩色する永楽(約120年前)などがある。
常滑焼(愛知県)
「常滑」という地名は、万葉集にも用例がある古語で、常に滑りやすいところという意味です。実際、古くからこの地は岩土盤の露出が多く、鉄分を含む滑らかな良質の陶土が豊富に産出されました。常滑焼の歴史は古く、平安時代末期より約900年に及びます。日本六古窯のひとつで、その中でもかなり古く、その規模は最大といわれています。中国の影響を受けた手法で焼いた朱泥急須は常滑焼の代表格です。常滑焼の器は焼き締めが中心で、大半のものは釉薬を掛けていないが、ざっくりとした土味を残す自然釉の壺などもある。
萩焼(山口県)
萩焼もまた、茶人たちに好まれる焼き物です。ぬくもりある器肌は、土の温かみを伝え、ぼてっと分厚い印象ながら手に持つと意外に軽く、しっくり手になじむ柔らかさを備えています。登り窯で時間をかけて比較的低めの温度でゆっくり焼き上げるため、焼き締め度合いが弱く、土の柔らかさを残したような焼き上がりになります。また、一般の焼き物に比べて吸水性が高く、表面に細かいひび(貫入)がたくさん入っています。萩焼の茶碗などを長く使っていると、このひびから茶がしみ込み、器の肌色を微妙に変えたり、雨漏りのようなシミができたりします。ひとつの器を長く大切に使うことで色艶が次第に変化し、独特の雰囲気をかもしだすことを「茶慣れ」「萩の七化け」などと呼ぶそうです。
瀬戸焼(愛知県)
「せともの」の呼び名で日本の食器の代名詞ともなっているのが、愛知県瀬戸市で焼かれる瀬戸焼です。この辺りは日本の陶器を代表する一大窯業地帯となっています。これほどにまで有名な瀬戸焼で すが、現在は一部の茶器を除くとこれといった特徴があまりないのが実際のようです。瀬戸焼の人気が高まったことで大量生産の道を歩むこととなり、作品としての特徴をやや失ってしまった、という感があるのも否めません。しかし奇抜な特徴がなく、一般的で丈夫で飽きが来ないという点では、日常使いのの食器としてはもっとも理想的であると言えるでしょう。
美濃焼(岐阜県)
数ある日本の陶器の文化に多大な影響を与えたと言われる美濃焼。瀬戸の猿投山麓に発祥した陶業は、一説によれば、長男だけその窯を継いで、次男以下は他の土地へ移るおきてがあったといいます。 美陶への野心に燃える陶工たちが、陶土を求めて美濃方面に移動し、東濃の豪商土岐氏の手厚い保護に支えられ、桃山時代の末、文禄、慶長のころ、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒など桃山時代独特のやきものが美濃に開花しました。このように古来より瀬戸と美濃の関係は深く、現在でも密接です。
信楽焼(滋賀県)
日本六古窯のひとつである信楽焼は、1250年の伝統を誇る日本最古の産地です。たぬきの置き物で知られる信楽焼きですが、室町時代より多くの茶人に愛され、釉薬を使わない土味をいかしたぬくもり を感じさせる素朴な風合いが特徴。信楽の地に自生するアカマツが陶器の焼成に使う焚き木として適しており、この地で採れる土には粘りがあって腰が強く高温にも強いため、小さくて精巧なものから大きくて丈夫なものまで、じつに信楽焼は幅が広く、多種多様に焼かれています。
有田焼(佐賀県)
400年の伝統をもつ日本磁器発祥の地、有田(佐賀県)。有田焼の積み出し港として古くから栄え、ヨーロッパではその名をほしいままにした伊万里(佐賀県)、食器を主とした日用品では九州有数の生産を誇る波佐見(長崎県)、丼・袋ものなど生活雑貨を主体に生産する吉田(佐賀県)、唐子の絵付で有名な三川内(長崎県)など、西九州一帯には有田を中心にたくさんのやきものの町が集中しています。これらは、伝統的にいくらかの違いはありますが、地理的に非常に近く、同じような原料や技術であるということから、一般に有田焼と総称されています。1604年、朝鮮の陶工・李参平が有田の泉山に良質の白磁鉱を発見し、上白川天狗谷に窯を築いて磁器を焼き始めたのが有田焼の始まりです。以来、鍋島藩の強力な保護の下、有田焼は御用窯として発展し続け、質の高い作品を数多く生み出してきました。1653年には、大量の有田磁器が東インド会社の手でヨーロッパをはじめ海外へ輸出され、人気を博しました。ドイツのマイセンやオランダのデルフトでは、これら輸出品を元に写しが焼かれ、それは現代のヨーロッパの作品にも受け継がれています。有田焼は、染付や染錦などの古伊万里様式、赤絵、濁手などの柿右衛門様式、色鍋島の鍋島様式の3系統に大別されます。藩御用達や献上用に作られていた色鍋島は公開されず、一般に出回ったのは伊万里と柿右衛門様式。これらが、海を渡り”イマリ”という名で世界的に広く知られるようになりました。鍋島様式を生んだ藩窯は伊万里市内にあったもので、その伝統は伊万里市の大川内山に点在する窯元で受け継がれ、主に花瓶、香炉、飾り皿などの高級装飾品が多く焼かれ、伊万里焼と呼ばれています。また、伝統有田焼を代表とする2大窯柿右衛門窯や今右衛門窯は、それぞれの特徴と源流を誇り、伝統を守り続けています。